舞楽の演目
安摩
(あま)
左舞(唐楽)
壱越調平舞
林邑の八楽の一つとして仏哲により伝えられたが,仁明天皇の代(833〜850)に勅によって大戸清上が改作したといわれています.左方襲装束(かさねしょうぞく)の両肩をぬぎ、巻纓(けんえい)・オイカケの冠に雑面(ぞうめん)をつけ,右手に笏(しゃく)を持って舞います.「安摩」だけ独立して舞われることはほとんどなく「二舞」と続けて舞われます.「二舞」は「安摩」の答舞です.地鎮の行為とも,龍女が好む雀の面を着けて龍宮に忍び込み,宝玉を盗みだす様子を表現したものともいわれていまする.
延喜楽
(えんぎらく)
右舞(高麗楽)
壱越調
醍醐天皇の延喜八年(908)藤原忠房が曲を,敦実親王が舞を作ったもので,年号の「延喜」を曲名にしたものです.萬歳楽と共におめでたいときに,よく演奏されました.
襲装束に鳥甲を被って四人で舞われます.
振鉾
(えんぶ)
左右両舞 御祓いの舞とも云われ,舞楽の最初に舞われ国家安泰,雅音成就を祈ります.周の武王が天地の神々に戦勝を祈った様をかたどったのが起源といわれています.
舞人は襲装束といういでたちで,まず金色の鉾を持った赤袍の左方舞人が舞台に上り,初節を.次いで銀色の鉾を持った緑袍の右舞人が舞台に上り,中節をそれぞれ乱声に合わせて舞い,最後に二人が鉾を振り合わせ後節を舞います.
賀殿
(かてん)
左舞(唐楽)
壱越調文舞
「嘉殿楽」ともいわれています.
承和年間(834〜848)遣唐使であった藤原貞敏が唐の国から琵琶の譜として我が国に持ち帰り,和邇部太田麿が笛の譜に,林真倉が舞を作ったとされています.舞人は,右肩脱ぎの襲装束に甲をつけて舞います.番舞は「長保楽」です.
迦陵頻
(かりょうびん)
左舞(唐楽)
壱越調童舞
林邑八楽の一つとして,僧仏哲によって伝えられたといわれています.
インドの祇園精舎に供養の日に,迦陵頻迦という霊鳥が飛来して,さえずり飛びかう様を見て,妙音天女が舞曲にして,阿難尊者に伝えたという伝説があります.
子どもの舞人が,背に極彩色の鳥の羽をつけ,紅梅を挿した天冠をかぶり,手に銅拍子を持って舞台上を飛び回ります.番舞は「胡蝶」
甘州
(かんしゅう)
左舞(唐楽)
平調平舞
中国の甘州という国で,竹を切る時この曲を演奏すると,金翅鳥の鳴き声に聞こえるので蛇や毒虫が,人に害を与えない.とか,唐時代の玄宗が青城山に行った時,官女の衣が風になびく様を見て,舞にしたとも云われています.
襲装束に鳥甲をつけて舞います.番舞は「仁和楽」「林歌」など.
喜春楽
(きしゅんらく)
右舞(高麗楽)
黄鐘調
陳の粛公の作とか,大安寺の僧安操の作とか云われています.春を迎える喜びに満ちた曲です.途中で袍の右肩をぬいで舞います.
蛮絵装束に巻纓,老懸,挿頭花をつけた冠をかぶり四人で舞います.
番舞は「延喜楽」
貴徳
(きとく)
右舞(高麗楽)
壱越調走舞
中国漢の時代に,漢に降伏した貴徳候とゆう勇将な武将がいて,その勇姿を模したものといわれています.
毛べりの禰襠装束に竜甲をかぶり,眼光鋭く,鼻高き面をつけ太刀を腰に,手には鉾を持って勇壮に舞います.鉾を置いて舞うときは手を剣印とします.鉾を手渡したり受け取ったりする,番子という従者を二名従えています.また,面には鯉口と人間があります.童舞として舞われるときもあります.番舞は「散手」
還城楽
(げんじょうらく)
左舞(唐楽)
太食調走舞
「見蛇楽(けんだらく)」ともいいます.
唐時代の玄宗が葦后の乱を平定して凱旋した時に作らせた曲とか,蛇を食べる西域の人が蛇を見つけて喜ぶ様を表したものとか云われています.
赤い面を付け,右手には桴を持ち,左手は剣印で舞います.舞の途中で蛇持ちが鎌首を持ち上げとぐろを巻いた蛇の作り物を舞殿の中央におきます.舞人はこれを見つけて飛びあがって喜ぶ様を演じます.その後,蛇を左手に持って舞い続けます.
童舞として舞われることもあります
胡蝶
(こちょう)
右舞(高麗楽)
壱越調童舞
延喜六年(906),宇多上皇が童相撲を御覧の時に,藤原忠房が曲を,敦実親王が舞を作ったと云われています.
舞人の装束は,蝶の刺繍が施された萌葱色の袍を着け,背には蝶の羽を,山吹の花を挿した天冠,右手に山吹の花を持ち四人で舞います.
蝶が花を求めて飛びかう様を描いているようです.
番舞は「迦陵頻」です.
狛桙
(こまぼこ)
右舞(高麗楽)
壱越調
作曲は不明ですが,舞は高麗より使者が船で渡って来た様子を模したもの,と伝えられています.五色の段々塗の棹を操り,船を操る舞振が各所に見られます.
舞人は4人で,装束は近衛役人の乗馬の装束であった錦縁の裲襠装束に,巻纓・老懸をつけた末額冠(まつこうのかんむり)を着用します.
この舞の特徴は,4人の舞人が五色にいろどられた棹を持って舞うことです.
花釣楽又は棹持舞とも呼ばれ,狛鉾とも表記されます.
番舞は「打球楽」です.
胡飲酒
(こんじゅ)
左舞(唐楽)
壱越調
管弦のみ
胡国の王が酒を飲み酔って舞った姿を班蚕が舞にしたものです.林邑の僧仏哲が天平8年(736)8月にわが国に伝えられたと云われていますが,仁明天皇のときに舞は大戸真縄,楽は大戸清上が作ったともいわれていますので,わが国で改作したものではないかと思われます.
今回は舞はなく,管弦のために雙調に移調されたものが演奏されます.
散手
(さんじゅ)
左舞(唐楽)
太食調
神功皇后が新羅を攻めたとき,率川明神が船の舳先に現れ,将兵を指揮したときの姿を舞にしたとか,釈迦誕生の時師子王が作ったとか云われています.
装束は,毛べりの禰襠装束に朱塗りの面をつけ,頭には竜が玉を抱いている姿を模した甲をかぶり,腰には太刀,手には鉾を持って勇壮に舞います.左方一人舞の難舞の一つに数えられ,高度な技術を要する舞です.
番舞は「貴徳」です.
敷手
(しきて)
右舞(高麗楽)
壱越調
平安朝に渤海国の大使がたびたび我が国を訪れたため,その風俗舞を作ったのではないかと云われています.
蛮絵装束に巻纓,老懸のついた冠をかぶって舞います.途中から袍の右肩をぬいで舞います.
獅子
(しし)
. 獅子の舞は,明らかに伎楽の舞です.舞は失われてしまっていますが,四天王寺にのみ伝わる「獅子」の曲に合わせて,菩薩の舞と同じように大輪小輪の作法を行います.近年は,古記録に基づいて四方拝の所作も取り入れています..
酒胡子
(しゅこし)
雙調 酔公子ともいい,中国唐時代の人が酒を飲むときに演奏した曲で,日本の宮中では元旦の節会で,「胡飲酒破」と共に演奏されたと云われています.
春庭花
(しゅんていか)
左舞(唐楽)
双調
延暦年間に,遣唐舞生久礼真蔵が中国から,日本に伝えたと云われ,もとは,太食調であったが,中絶していたのを仁明天皇の勅により双調に変えて復活させたものといわれています.一帖のみ舞うときは「春庭楽」.二帖舞うときは「春庭花」といいます.
春の庭に花と戯れる様子を舞にしたものといわれ,特に,後半で四人の舞人が輪になって,花が開いたりしぼんだりするさまをあらわす振りがあり,華やかな雰囲気の舞です.
装束は,左方蛮絵装束で腰には太刀を履き,背中には笏を,挿頭花を付けた冠をかぶります.番舞は「白浜」です
承和楽
(しょうわらく)
左舞(唐楽)
壱越調平舞
「冬明楽」ともいい第五十四代仁明天皇の勅命によって作られた和製の舞楽で,当時の年号「承和」をとって「承和楽」と名付けられたと云われています.
舞人の装束は赤色の襲装束で,右袖を脱いで前に挟み(「片肩袒」という)鳥兜をかぶり,四人で舞います.
新靺鞨
(しんまか)
右舞(高麗楽)
壱越調
沿海州にあった靺鞨国より伝わったとか,白河天皇の勅命によって藤原俊綱が作ったとかいわれています.
舞人は唐冠・平纓をつけ,一臈と二臈は赤袍,三臈と四臈は緑袍をつけます.指貫をはき下鞘を腰につけ右手に笏を持ち沓をはきます.
舞ぶりは,舞台で正座して再拝したり,横向きに臥して手を上げたり,他の舞には見られない珍しい振りがあります.番舞は「採桑老」
青海波
(せいがいは)
左舞(唐楽)
盤渉調
太田麿あるいは大戸清上が曲を,良岑安世が舞を作ったと云われています.盤渉調で作曲されたものが,後に黄鐘調に移調されたと云われています.
舞は寄せる波,引く波を表す振りが多く用いられていて,二人でゆったりと袖を振りながら優美な舞で,源氏物語の「紅葉賀」の巻に,光源氏と頭中将が帝の前で舞ったと記されています.
装束は,甲から足先まで千鳥の文様が施されています.一番上の袍は萌黄顕紋紗六分波形の文様を幾重にも重ねたもので,その上にも千鳥の刺繍が施されています.
正式には「輪台」に続けて舞われるものです.番舞は「敷手」です.
蘇利古
(そりこ)
右舞(高麗楽)
壱越調
「竈祭舞」ともいいます.応神天皇の代に,酒造りを専門としていた百済の須須許理が伝えたと云われています.
舞人は襲装束,両肩袒に白楚という木の枝を持ち,長方形の布に抽象的な人面を描いた蔵面(ぞうめん)をつけ,老懸のついた巻纓.の冠をつけて舞います.番舞は「壱鼓」
太平楽
(たいへいらく)
左舞(唐楽)
太食調武舞
漢の高祖と項羽の会見の宴を催した時,項羽の家臣が太刀を抜いて舞いながら,高祖の命をねらっていたが,項伯も舞いながらそれを防いだ.という故事による舞いといわれています.
舞人は,鎧兜をつけ,肩喰,脛当,籠手,太刀,魚袋,ヤナグイ,鉾など,絢爛豪華な戦装束に身をかためて舞います.
序・破・急の三楽章が別々の曲で構成されます.道行「朝小子」では,舞人が鉾を持って登場します.破「武昌楽」では,鉾を持って舞い,急「合歓塩」では太刀を抜いて舞います.番舞は「陪臚」
長慶子
(ちょうげいし)
管弦のみで舞はありません 平安時代の源博雅作曲といわれています.舞を伴いませんが舞楽曲に分類されています.舞楽が終了し,退出を促す退出音声として必ず演奏されます.太食調
登天楽
(とうてんらく)
右舞(高麗楽)
双調
もとは童舞の曲であるが近来は大人が舞っている.
平安初期にわが国で作られた曲といわれているが,詳細は不明です.
舞人は鳥甲をかぶり,襲装束を着て,袍の右肩をぬいで舞います.番舞は「五常楽」
桃豊舞
(とうほうまい)
神楽 昭和47年.真清田神社2600年祭催行にあたって,東儀文隆が作曲し,薗廣晴が作舞した神楽です.
桃花を挿した天冠をかぶり,桃花の小枝を持ち,四人の舞人によって舞われます.
桃李花
(とうりか)
左舞(唐楽)
黄鐘調平舞
「赤白桃李花」ともいいます.作曲者は不明ですが,中国の唐の時代に,草木に関する曲が21曲作られ,この桃李花はその中の1曲で,桃花の盛りに催される曲水の宴で演奏されることが,多かったと云われています.
『楽家録』によると,この曲は「伎女舞」で奈良・平安時代に活発だった女性の雅楽の教習所で伎女が教え伝えた女舞だったが,舞が途絶えてしまったので「央宮楽」の舞を借りることにしたと云われています.
番舞は「皇仁庭」または「登天楽」

鳥急
(とりのきゅう)
雙調. 壱越調の迦陵頻からの渡物(他の曲を移調することを雅楽では「渡物」といいます)です.
納曽利
(なそり)
落蹲
(らくそん)
右舞(高麗楽)
壱越調走舞
「双龍の舞い」とも云い,二匹の龍が楽しげに舞い跳ねる様子を表したもので,古くは,相撲や競馬で,右方の勝者を祝して奏したものといわれています.
舞人は別装束,毛べりの緑色系の禰襠装束に,銀色の目と牙を持つ面をつけ,銀色の桴を持って舞います.童舞として舞われるときは,面をつけないで,天冠を用います.
一般に,二人で舞うのを「納曽利」,一人で舞うのを「落蹲」といいます.
二人の舞人が,舞台を前後左右に飛び跳ねるように舞ったり,背中合わせのまま大きく輪を作って舞ったりします.番舞は「蘭陵王」です.
仁和楽
(にんならく)
右舞(高麗楽)
壱越調
光孝天皇(884〜886)の勅により百済の貞雄が高麗楽の形式で作曲・作舞したものです.
時の年号をとって仁和楽としたもので,高麗楽の形式によっ,わが国で作られた曲です.
鳥甲をかぶり襲装束の右肩をぬいで舞う場合と,蛮絵装束を着て舞う場合があります.
舞は,出手・当曲・入手の順に舞い,その舞振りは春風に揺れるように優雅です.
番舞は「承和楽」です.
抜頭
(ばとう)
左舞と右舞があります
太食調走舞
天平年間林邑の僧仏哲によって,我が国に伝えられたと云われています.
猛獣に襲われて父を殺された胡人の子が,山野を探し求めて遂に父の仇を打ち,歓喜する様を舞にしたものといわれています.
天狗のような赤い面を,頭には牟子(頭巾様のもの)を被り,短い桴を持って舞います.
武徳楽
(ぶとくらく)
左舞(唐楽)
壱越調
管弦のみ
中国漢の高祖(在位B.C200〜195)により作られた舞曲と云われています.舞は絶えてしまい,平安時代に雙調に移調され,現在では管弦のみで演奏されます.
わが国では,藤原忠房が相撲節会(すまひのせちえ)のために勅によって改作し,その後宮廷の武徳殿で行われる小五月会(こさつきのえ)に演奏されたといわれています.
菩薩
(ぼさつ)
左舞(唐楽)
壱越調
林邑八楽の一つで婆羅門僧正と仏哲がインドから伝えたものですが,伎楽の一つではなかったかともいわれています.曲は破のみ残っていますが,舞は失われてしまいました.
四天王寺.の聖霊会舞楽では,菩薩の面をつけた二人の舞人が,舞台上を二回輪を作って舞う大輪小輪という作法を行います.
萬歳楽
(まんざいらく)
左舞(唐楽)
平調文舞

中国唐の則天武后が飼っていた鸚鵡がいつも「万歳」と鳴くので,その声から曲を作った.とか,唐の賢王の世に鳳凰が飛んできて,「賢王万歳」と鳴いたので,その様子を曲にしたとか云われています.
おめでたいときに演奏される曲で,「太平楽」と共に即位の礼,慶賀の時などに演奏されます.
襲装束の袍を片肩袒にし,鳥甲を被って四人で舞います.
番舞は「延喜楽」
央宮楽
(ようぐうらく)
左舞(唐楽)
黄鐘調
承和九年(842)立太子礼の儀式のため,仁明天皇の勅により林真倉(一説には大戸清上)が作曲・作舞したともいわれています.
舞人は老懸・巻纓の冠をかぶり,蛮絵装束をつけ,袍の右肩をぬいで舞います.
舞は,落ち着いた優雅なもので,途中ひざまずいて拝をします.番舞は「綾切」

蘭陵王
(らんりょうおう)
左舞(唐楽)
壱越調走舞
林邑八楽の一つです.単に「陵王」とも云われます.
中国の南北朝時代,北斉の蘭陵王長恭は姿形が美しく,戦場での士気が上がらないため,勇猛な面を付けて戦に臨んで大勝を納めたことを祝って作曲されたと云われています.勇壮な中にも優雅さが盛り込まれた舞です.
竜頭を模した極彩色の面を付け,右手には桴を持ち,左手は剣印で舞います.
女性や子どもが舞うこともあり,その際は素面で舞います.番舞は「納曽利」
林歌
(りんが)
右舞(高麗楽)
平調平舞
唐楽と高麗楽の両方があるが,唐楽には舞がありません.嵯峨天皇の代の高句麗の笛師下春の作といわれています.
装束は林歌用の別装束で,黄色地に金糸・銀糸・黄糸でネズミを刺繍した袍を着用し,鼠甲といわれるこれも林歌用の甲をかぶります.
この曲は,催馬楽の「老鼠」の旋律がよく似ているとか,昔,甲子の日にこの曲を演奏したということから,舞人の袍にネズミの刺繍が施されていると云われています.番舞は「甘州」
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.