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外町の「梅梢戯(ばいしょうぎ)」
車山:延宝二年(1674)建造.車山名「梅梢戯」は唐子が梅の梢で戯れるからくりから命名されている.
からくり:当初「七夕二星」であったが,1827年より「梅渡り」になった.
大唐子が梅の木に吊り下げられた太鼓を叩くと蓮台の上にのっていた小唐子が梅の木に飛び移り,逆立ちをして太鼓を叩いて遊ぶ.というもの.
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名栗町の「絳英(ほうえい)」
車山:元禄二年(1689)建造.
からくり:当初「布袋和尚」であったが,その後「時平公,菅相公」になった.
「菅原傳授手習鑑」から採られたもの.唐子が運んできた鉢の梅の花を藤原時平が散らせてしまうのを見て菅原道真が梅の枝をとり鉢にさすと見事梅の花が咲くというもの.      
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鍛冶屋町の「壽老臺(じゅろうだい)」
車山:18世紀前半の建造.車山名「壽老臺」はからくり人形が壽老人であることから命名された.
からくり:「岩戸のからくり」から「布袋和尚唐子遊び」となり現在は「壽老人のからくり」である.
文殊人形が大きな箱を正面に据えると,中から唐子が飛び出す.それを見た文殊人形は獅子の面をかぶり踊るというもの.
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本町の「咸英(かんえい)」
車山:延享二年(1745)建造.車山名「咸英」は高価な資材を使って優れた工芸を施した車山という意味で「すべてに秀でる」ということから命名された.
からくり:「七福神」から18世紀後半から「唐子遊び」になった.
三体の唐子遊び.一体は中央の蓮台(引臼)に左手で逆立ちをする.もう一体の唐子は蓮台を回す.大唐子は鉦を叩き歩き回るというもの.
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錬屋町の「國香欄(こっこうらん)」
車山:寛保二年(1742)建造.
からくり:文殊人形の前で,唐子が牡丹の花を持って踊っている.そして牡丹を花台に挿すと花が開き中から獅子頭が飛び出し頭としっぽを振ってはね回るというもの.             
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魚屋町の「眞先(まっさき)」
車山:延享元年(1744)建造.車山名「眞先」は針綱神社の祭礼(犬山祭)で車山の先頭を曳かれたことから命名された.
からくり:「乱杭渡り」と呼ばれるもので,日蓮上人が礼拝を終えて座っていると天上の星の中から天女が現れ6本の杭を渡っていくというもので,名古屋の人形師竹田藤吉の作といわれこの犬山と碧南の大浜中区の山車の2組しか作らなかったといわれています.この時は修復中ということで残念ながら見られませんでした.
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