岐阜県不破郡垂井町 岐阜県不破郡垂井町
岐阜県垂井町で2004年5月「垂井まつり」が行われました.2日(日)は試楽,3日(月)は本楽,4日(月)は後宴と3日間のまつりでしたが,そのうち2日目の試楽を見に行ってきました.
この垂井まつりは「垂井曳車山
(*)祭り」と言って南北朝動乱期の文和2年(1353)に北朝の後光厳天皇が京都からこの垂井に避難されましたが,その時,村人が花車3台を造って曳き回し天皇をお慰めしたのが始まりといわれています.
その後,安永年間(1772〜1780)になると,舞台を造り豊作の年には豊年祭りとして曳き回し,子どもによる能狂言を演ずるようになりました.文化・文政年間(1804〜1829)になると車山はさらに豪華となり,子ども歌舞伎が演じられるようになりました.
現在の曳車山は昭和36年岐阜県重要有形民俗文化財に.また,曳車山上で演じられる子ども歌舞伎は垂井町無形民俗文化財に指定されています.
この垂井は江戸時代の中山道58番目の宿場で,東西約七町(766m)の街道沿いには宿屋や商家が立ち並びたいへん賑わっていたと言われています.今でも所々に往時を偲ぶ建物が残っています.


(*)この地方では「やま」を『車偏に山』と書き表しますが,コンピュータで扱う文字には該当する漢字がありませんので『車山』と書き表しています.

下のサムネイル画像をクリックすると,1024×682 の画像をご覧いただけます
No01〜03:中山道沿い.古い商家が残っています
No04〜05:八重垣神社.境内に「さざれ石」があります
No06:東の見付跡
No01 (142kb) No02 (130kb) No03 (145kb) No04 (169kb) No05 (114kb) No06 (88kb)
No07:愛宕神社.西の見付跡.安藤広重の「垂井宿」の錦絵はこのあたりで描かれたものとか
No08:相川に架かる鯉のぼり.3枚の画像をパノラマにしましたので,継ぎ目が少々見づらいです
No07 (178kb) No08 (72kb)
.
岐阜県不破郡垂井町 岐阜県不破郡垂井町
.
寛政10年(1798)大工喜助が棟梁となって創建したもので,文政4年(1821)4月塗師楠屋十太夫によって塗箔されたものです.
屋根の上で翼を広げる鳳凰は富田新左衛門尉源義綱の作
車山後座の華頭窓の両側の昇り龍・下り龍は吉政の作
舞台,二重,三重の部分の彫刻の多くは藤原重興と佐竹民弥の作
襖絵の虎は佐久間頼峰の作
屋根の亭は火炎の曲玉です
この日の子ども歌舞伎の芸題は「絵本太功記十段目 尼ヶ崎の段」
.
No09 (151kb) No10 (143kb) No11 (134kb) No12 (136kb) No13 (128kb) No14 (126kb)
No15 (171kb) No16 (163kb)
.
岐阜県不破郡垂井町 岐阜県不破郡垂井町
.
紫雲閣は安永4年(1775)にはすでに歌舞伎が演じられていたという記録があり,創建はそれ以前と思われます.明治3年(1870)藤岡和泉によって大改造されました.
舞台狭間等の彫刻は山口小三郎,幸三郎,守重の作
扁額は近衛前関白左大臣藤原忠熙の筆による
金屏風・舞台障子絵は山口素絢の作
見返りは中国古代のつづれ織り「賢人図」であるが文化財として貴重なものであるので,昭和53年複製したものを使用
屋根の亭は草薙の剣
この日の子ども歌舞伎の芸題は「生写朝顔日記 宿屋の段」
.
No17 (124kb) No18 (98kb) No19 (135kb) No20 (164kb) No21 (148kb) No22 (150kb)
No23 (142kb) No24 (150kb)
.
岐阜県不破郡垂井町 岐阜県不破郡垂井町
.
文化5年(1808)大工藤井太兵衛が創建したもので,文政10年(1827)塗師楠屋十太夫自光と久政によって塗装されました.
その後,佐竹民弥が約6年の歳月を費やして車山の彫刻を施しました
見返りは約400年前中国で織られたつづれ織りの「蓬莱」と山鹿清華作の「蘭王陵の舞」第3面
舞台天井には狭間の松に鶴の巣ごもりの彫刻がみられる
屋根の亭は金龍に八咫の鏡
この日の子ども歌舞伎の芸題は「義経千本桜 吉野山道行の段」
.
No25 (150kb) No26 (110kb) No27 (131kb) No28 (134kb) No29 (160kb) No30 (169kb)
No31 (163kb) No32 (164kb)
.
子供歌舞伎が演じられる曳車山祭り
は左のサムネイル画像をクリックしてください
.
参考資料 「垂井まつり」パンフレット
.