京都府亀岡市 亀岡祭
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2007年10月25日(木)京都府亀岡市で鍬山神社の秋季大祭が行われました.この祭りは亀岡祭といって23日の宵々山から始まり,24日が宵宮,25日が本祭で11輛の山鉾が町内を練り歩きます.
この亀岡祭.三輪山鉾の『三ツ之鳥居箱所銘』に寛延二年(1749)の銘があり,この頃にはすでに山鉾が城下町を練り歩いていたことが予想されます.また,稲荷山には寛延四年(1751)高砂山鉾には宝暦七年(1757)等の銘が続いてみられることから,この頃山鉾が次々建造されていったことがうかがわれます.
この祭りは「丹波の祇園祭」ともいわれ,京都八坂神社の祇園祭の山鉾より,若干小振りではありますが,飾り,幕などその豪華さは,決して見劣りするものではありません.

管理人の「亀岡祭」についての感想は『お祭り見てある記』をご覧ください→「亀岡祭」
山鉾名をクリックすると,解説がご覧いただけます.
三輪山鉾 翁山鉾
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羽衣山鉾 稲荷山
No07 (195kb) No08 (126kb) No09 (178kb) No10 (203kb) No11 (174kb) No12 (147kb)
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難波山鉾 蛭子山
No13 (182kb) No14 (146kb) No15 (171kb) No16 (152kb) No17 (206kb) No18 (184kb)
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高砂山鉾 浦島山
No19 (185kb) No20 (171kb) No21 (119kb) No22 (196kb) No23 (183kb) No24 (202kb)
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武内山鉾 八幡山鉾
No25 (172kb) No26 (153kb) No27 (203kb) No28 (178kb) No29 (131kb) No30 (176kb)
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鍬山鉾 .
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No31 (122kb) No32 (179kb) No33 (192kb) .
  
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三輪山鉾 本町
奈良の大神神社の祭神「大物主大神」をご神体としています.また,正面には大神神社のシンボルである三ツ鳥居が飾られています.
また,この鳥居の箱書きから寛延二年(1749)に建造されたことがわかります.また,当時は舁山として建造されたが天明元年(1781)に鉾へ改造されました.
翁山鉾 三宅町
能・狂言の「三番叟」をご神体としています.文政十二年(1829)に再建されました.その時,西陣の大型綴錦の三国志にちなんだ桃園の結義を描いた前懸幕,鳳凰額八仙人図の見送幕を新調しています.
羽衣山鉾 西堅町,東堅町
謡曲「羽衣」の天女と漁夫をご神体としています.
稲荷山 新町・旅篭町
稲穂を背負う「稲荷神」をご神体としています.装束箱の銘から寛延四年(1751)の建造と考えられます.文久三年(1863)の前懸幕は,中国清朝の逸品で,平成11年に復元新調されました.また,胴幕は朝鮮李朝のもの,見送り幕は西陣の大型綴錦織でその豪華さは抜きんでています.
難波山鉾 矢田町.京町,上矢田町
応神天皇が百済国から招いた学者「王仁」をご神体としています.安永六年(1777)頃舁山として建造され,完成十一年(1799)曳山に改造されました.この改造の時,町衆が今後10年間は質素倹約を申し合わせて,改造費用を捻出したと云われています.
蛭子山 塩屋町
大きな鯛を釣り上げた「恵比寿」をご神体としています.水引き幕の銘文から寛延四年(1751)ころ建造されたと考えられています.
下水引幕は明和六年(1769),前掛幕・胴幕などは天保二年に新調されたものです.また,三人のオランダ人を描いた見送り幕は,数年前に補修されたものです.
高砂山鉾 柳町
謡曲高砂の「尉」と「姥」をご神体としています.宝暦五年(1755)頃舁山として建造され,後の文政八年(1825)に現在の鉾に改修されました.
見送り幕は西陣で織られた大型の錦綴で,当時で最も高価な織物です.また,胴幕は中国甘粛省の織物で,当時の町衆の祭にかける心意気が,並々ならぬものと感じられます.
浦島山 呉服町
釣り竿を手にした「浦島太郎」をご神体としています.天明7年(1787)頃に建造されました.中国清朝時代の水引き幕と朝鮮毛綴の胴幕は貴重な織物です.以前は山飾りは会所での部屋飾りでしたが,平成5年山を復元しました.
武内山鉾 紺屋町
幼い応神天皇を抱いた武内宿禰をご神体としています.胴幕の箱銘から,建造されたのは安永六年(1777)と考えられています.また,寛永十一年の記録によると,その当時には三輪形式だったようです.文化四年(1807)に新調された見送り幕は,中国清朝の逸品といわれています.
八幡山鉾 西町
鍬山神社の祭神である「誉田別尊(八幡神)」をご神体としています.この山鉾は宝暦十三年(1763)に建造され,天保十二年(1841)現在の曳山に改装されました.
鍬山鉾 北町
丹波の「鍬山大明神」をご神体としています.もともとは舁山でしたが,曳山の時期もあり,平成17年に約200年ぶりに曳山に復元新調されました.
現在使われている胴幕は,文化八年(1811)イギリスのビクトリア朝時代の毛織物で,当時の町衆の心意気が感じられる逸品です.
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