No02:お囃子方は赤や青の袴にたすき掛けスタイルでした.
No03:お獅子も2匹出されました.
No05〜06:八幡社脇の道路上に揃った山車 |
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No01 (201kb) |
No02 (154kb) |
No03 (184kb) |
No04 (172kb) |
No05 (214kb) |
No06 (211kb) |
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萱町の『総代車』
萱町の山車は明治以前は「舁ぎ物(かつぎもの)」として日本武尊と黒衣水干を着衣したお供の人形が据えられていました.明治10年(1877)山車が新造され2体の人形がそれぞれ上段と前棚に据えられ,さらに,明治13年(1880)巫女人形が追加されました.
大将座は日本武尊.前棚の采振り人形は巫女と「おべろべい」と呼ばれる総代.この「おべろべい」人形.画像を見ていただくとわかりますが,非常にユニークな人形でで,御幣を振りながら顔を左右に振って長い舌を出します.しかも目も丸い目,細長い目と3段に切り替わります.動画で紹介できないのが残念です. |
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No07 (181kb) |
No08 (168kb) |
No09 (171kb) |
No10 (155kb) |
No11 (134kb) |
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No13 (122kb) |
No14 (107kb) |
No15 (150kb) |
No16 (166kb) |
No17 (137k) |
No18 (129kb) |
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新町の『應神天皇車』
明治34年(1901)中古の山車を購入.仮屋台の上段には八幡太郎義家の人形が飾ってあったということですが,現在ではその当時の人形の行方はわからないそうです.昭和3年(1928)『仁徳天皇車』と呼ばれる,現在使われている山車を購入しましたが,その後の調べで,2003年9月より,『應神天皇車』と名称変更しました.
上段には應神天皇(以前は仁徳天皇)と姫人形.采振り人形は唐子.上段と前棚が階段でつながっています。 |
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No19 (191kb) |
No20 (192kb) |
No21 (167kb) |
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no23 (175kb) |
No24 (150kb) |
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No25 (152kb) |
No26 (137kb) |
No27 (148kb) |
No28 (164kb) |
No29 (138kb) |
no30 (131kb) |
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本町の『神功皇后車』
明治29年(1896)9月新調しました.当時の資料によると,総額で1019円38銭9厘かかったと記されています.
上段には神功皇后と武内宿禰..新羅討伐のとき,神功皇后が鮎釣りをして戦況を占ったという故事にに基づいたものです.(No39以降の画像をよく見ていただくと,神功皇后の右手に持った竿の先に釣れた鮎が見られます)
采振り人形は両手に扇子を持ち,裃姿の男装の童女である.「おべろべい」のように舌を出して目が変化します. |
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No31 (181kb) |
No32 (183kb) |
No33 (167kb) |
No34 (95kb) |
No35 (149kb) |
No36 (135kb) |
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No37 (140kb) |
No38 (140kb) |
No39 (130kb) |
No40 (132kb) |
No41 (139kb) |
No42 (106kb) |
参考資料:『田原町史 上巻』
本町山車修復記念誌『田原祭 本町の山車』
『仁徳天皇車』の名称変更につきましては「田原市観光協会」にお教えいただきました. |
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2003年以外の「田原まつり」の画像は右のサムネイル画像をクリックしてご覧ください.
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