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2004年4月25日(日).愛知県一宮市今伊勢町馬寄にある石刀神社の祭礼です.この祭りは,関ヶ原の合戦で徳川氏がこの地に陣営を設けたとき,社殿等が壊されたため合戦後徳川氏の命により修復がなされ,慶長13年(1608)神前に山車・献馬を奉納して完成を祝ったのが始まりとされています.山車は最初大聖車と更屋敷車の2輛であったが,その後呑光寺車が加わり,さらに中屋敷車・山之小路車が加わり,からくりも現在とは異なるものが演じられていたようです.その後,2輛が太平洋戦争で焼失し現在は残った大聖車,中屋敷車,山之小路車の3輛の山車が祭りに曳き出されます.この祭りに曳き出される山車はいずれも大型で三層の「犬山型」の山車です.
また,この祭りには大聖,更屋敷,呑光寺,山之小路,六地蔵,吉田の六つのセコから馬が奉納されます. |
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高さ8.3メートル.
山車の制作年代等は不詳です.
からくりは桃の木の枝から下がった数本の綾(横棒)を順番に渡っていく離れからくりです.この大聖車のからくりは昭和60年スウェーデン,フランスで公演し喝采を浴びたそうです. |
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高さ8.8メートル
詳細は不明ですが,最近「七十七歳 早瀬吉政」の銘が発見され,彫り物が江戸時代後期のものであることがわかりました.
からくりは,四体の唐子のうち小唐子が別の唐子に肩車をされて鉄棒につかまり大車輪をします. |
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高さ:約8.6メートル
制作年等は不詳ですが,明治22年(1889)に中島郡の桜木茂助によって大改修が行われました.
からくりは,小唐子が蓮台に左手を付いて逆立ちをし,その後,綾棒に足でぶら下がります.最後は大唐子の肩の上で逆立ちをします.この逆立ちをする小唐子は西枇杷島町のものであったといわれています.また,当時一緒に使われていた大将人形は現在小牧市横町の山車に伝えられています. |
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大聖,更屋敷,呑光寺,山之小路,六地蔵,吉田の六つのセコから馬が奉納されます.鈴や胸がいなどで飾られた馬が参道を通って境内に入り神前に奉納されます. |
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参考資料: |
「尾張の祭り」 |
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「からくり人形の宝庫」 |
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「あいちの祭り行事」 |
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