名古屋市中区 名古屋市中区
.
.
名古屋市中区の若宮神社の祭礼が2004年5月15日(土)と16日(日)の2日間行われました.この所日曜日になると雨で祭りが見られないし,おまけに翌16日は傘マーク.15日の土曜日は山車の曳き回しは行わないと言うことでしたが神社の境内に飾られた山車を見てきました.
若宮神社は慶長15年(1610)名古屋城築城の際,城下の松原町に遷宮され名古屋の総鎮守とされました.
若宮まつりは『金鯱九十九之塵』に「(寛文)同十一年亥六月より始て,祭事に付氏子の町々傘鉾を出す.其後延宝二寅年町内黒船車始て出しとぞ…」と記されています.
その後,安永元年(1772)に末広町(黒船車),上玉屋町(西王母車),下玉屋町(布袋車),中須賀町(壽老人車),門前町(陵王車),大久保見町(福禄寿車),住吉町(河水車)の山車7輛が揃いました.黒船車以外はすべてからくり人形を備えていました.
これら7輛の山車は昭和20年太平洋戦争末期に福禄寿車と河水車以外はすべて空襲で焼失し,残った2輛の山車も東区出来町に譲渡されましたが,若宮神社の復興に伴って昭和24年(1949)に福禄寿車のみ返車され現在に至っています.福禄寿車は「名古屋型」の山車です.
【山車の装飾】屋根や高欄は黒漆塗り.金具は唐草模様の透彫.上山の高欄下には珊瑚などで雲と星座の二十八宿が表されています.前棚の高欄下には蝙蝠の彫刻が施されています.
【大幕】猩々緋.天保2年(1835)十代尾張藩主徳川斉朝から拝領したものです.
【水引】白羅紗に群鶴の縫い
【人形】
大将:福禄寿−福禄寿の人形は2体あり,1体は台座裏に宝暦12年(1762)の銘があり,蔦屋藤吉作.もう1体は延宝4年(1676)で山伏多門院の作です.

幣振人形:侍烏帽子をかぶり両手で御幣を持っています.この人形の顔は当時市中に異様な面をした塩売り男がいたのでそれをモデルにしたといわれています.
延宝4年(1676)多門院作.現在のものは慶応元年(1865)花木宋助の作です.

唐子人形2体の唐子の詳細は不明ですが,古い小唐子の胴体には天明4年(1784)鬼頭二三が修理したことが,また,蓮台の底部には宝暦11年(1761)に蔦屋藤吉が作製したことが記されています.
下のサムネイル画像をクリックすると,1024×682 の画像をご覧いただけます
No01〜03:境内に曳き出された福禄寿車
No04:白羅紗に鶴の水引き幕,前棚高欄下に暗くて判りにくいですが蝙蝠の彫刻が施してあります
No05:輪懸
No01 (166kb) No02 (177kb) No03 (217kb) No04 (123kb) No05 (181kb) No06 (153kb)
No07:大将座には福禄寿,2体の唐子人形と前棚の幣振り人形
No08〜09:上山の3体の人形
No10〜12:撥を持って蓮台の上で逆立ちをして鉦を叩く小唐子
No07 (182kb) No08 (171kb) No09 (148kb) No10 (110kb) No11 (152kb) No12 (120kb)
No13〜14:当時の塩売り男をモデルにしたといわれるユニークな顔つきの幣振り人形
No15〜16:大将座に座る福禄寿人形.座っている椅子の後ろには蝙蝠のデザインが施してある
No17〜18:団扇太鼓を叩きながら前後左右に動き回る唐子人形.この太鼓の表面には北斗七星が描かれている
No13 (154kb) No14 (90kb) No15 (108kb) No16 (151kb) No17 (140kb) No18 (116kb)
No19:上山の高欄
No20:山車の内部.囃子方が乗るところ
No21:梶棒を担ぎ上げてどんてんの練習でしょうか?
No22:各町内の天幕
No23〜24:獅子頭が飾ってある町内もありました
No19 (140kb) No20 (126kb) No21 (156kb) No22 (200kb) No23 (106kb) No24 (104kb)
.
2004年以外の若宮まつり様子は,右のサムネイル画像をクリックしてご覧ください
参考資料: 名古屋市山車調査報告書2 若宮まつり 福禄寿車