坂部の冬祭り
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諏訪社の社殿 宿入れ 浦安の舞
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順の舞 釜洗い 花の舞
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大神宮のお湯 火の大神の舞
上衣の舞
火の大神の舞
やちごの舞
火の大神の舞
つるぎの舞
火の大神の舞
抜き身の舞
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たいきり面 獅子舞 鬼神面 天公鬼面 青公鬼面
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水の王神 火の王神 翁の面 日月女郎面
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海道下り 魚釣り 面形送り 止め湯 火伏せ
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2009年最初の祭りは,3〜4年前から見に行きたい!と思っていた「坂部の冬祭り」です.
1月4日の夕方18時頃から,翌5日の午前10時過ぎまで行われます.
マピオンで調べたところでは,中央道飯田ICから国道151を下るルートが表示されたのですが,帰省ラッシュに巻き込まれることを心配して,一般道を行くことにしました.14時少し前出発.
植田一本松から国道153へ.豊田市・足助・稲武町を通り平谷峠で国道418へ.新野を抜け天竜川にぶつかったところで右折.県道1号へ.暫く走ったところで「坂部の冬祭り」と立て看板があります.そこを右折.まもなく坂部の集落に入ります.集落の真ん中あたりに「徒歩右・車直進」の小さな標識があります.直進すると,かなり勾配が急な山道に入ります.この道も暫く走ると,さっきと同じような標識があって,右の矢印に従って下っていくと,すぐ右手に駐車場がありますが,yoshikは違うような気がして,通り越してドンドン狭い道を下っていったら,坂部の集落に戻ってしまいました.再度最初の道を登って,右矢印のところがちょっと広くなっているので,そこへ車を止め,持っていった防寒衣を着込み降りていくと諏訪神社があります.17時半が過ぎていました.
 社殿の前の大庭には,たき火ができるように,まるで材木のような薪やお飾りなどがうずたかく積まれています.社殿は,舞堂が手前にあり,その奥に拝殿.さらに奥に本殿があります.舞堂の向かって左には炉が切ってあり鉄瓶が,右にも炉が切ってあります.
6時半頃になると,下から太鼓の音が聞こえてきます.まもなくお練りの一行が諏訪社に到着します.庭火に火が入れられ,お練りの一行のうち,拝殿にのぼらない者が,前庭で「伊勢音頭」と「願人踊り」を踊ります.その間,拝殿では祓式・浦安の舞などの神事が行われます.
その後,祭事に関わる者が,拝殿で食事を取る大庭酒(直会でしょうか?)が行われます.
それが済むと,いよいよ舞や湯立てが始まります.
舞や湯立ては,舞堂で行われますが,間口が2間半ほどしかありません.参観者は舞堂には入れないため,撮影にはちょっと不便です.yoshikはちょうど左端の一番前に陣取ることができ,最後まで撮影ができました.
社務所で「無形文化財 坂部の冬祭」という冊子を分けていただいて,それを見ながら祭を見ていたのですが,どれがどの演目かわからないものもあり,画像の説明が間違っている可能性もあります.お気づきの点がありましたら,ご指摘下さい.
その冊子によると,次第は
1.お練り
2.宿入れ
3.大森山諏訪神社古例式典
(1)祓式
(2)御扉
(3)浦安の舞
−小学生による浦安の舞です.最初に扇,次に矛を持って舞います
(4)座固
(5)注連引
(6)お供渡し
(7)大庭酒
(8)順の舞
−四人で上着を持って舞います.
(9)申し上げ
(10)釜洗い
−浜水を釜に入れ,三本の藁を持った禰宜が,一本ずつ釜の湯に入れながら,釜洗いのうたぐらを唱えます
(11)湯祓い
(12)花の舞
−子ども四人の舞で,最初は上衣を持って舞い,次は花笠,やちごと採り物を次々と変えて舞います.最後の花返しでは,大人も大庭の観客も『かやせやかやせ清めてかやせ』と大声で歌います.この花の舞は全部で八折りあり,二時間弱舞われます.
 1.上衣 2.花笠 3.やちご 4.湯桶 5.大根 6.餅 7.花 8.花返し
(13)大神宮御湯
1.「舞」釜の正面に薦を敷き湯たぶさ2本と湯木を持った禰宜,両脇に氏子の代表が立ち,順の舞を舞います.
2.「湯立て」舞を終えた三人は釜の前に立ち,他の神子も鈴を持って釜の周りを取り囲み,うたぐらをうたいます.
3.「舞上げ」最後に本殿の方を向いてうたぐらをうたいます.
(14)火の神の御湯立−火の大神の湯に先立って,大人の神子4人によって舞われます.
1.「上衣の舞」で,上衣の衿を両手で持って舞います.次に採り物をやちごに変えて舞います.
2.「やちごの舞」で,鈴を右手に,紙垂のついた木製の刀を左手に持って舞います.舞を始める前に,4本のやちごを釜の上に十文字に重ねて置き,「とってもとれんよのはやし」をうたいながら湯釜を90度逆順に廻って,やちごをそれぞれが手にとって舞い始めます.これは,最初のやちごの舞の時のみ行われます.次に採り物を鞘に収まったつるぎに変えて舞います.
3.「つるぎの舞」で鈴を右手に,鞘に収めたままのつるぎを左手に持って舞います.次に鞘をはらって抜き身のつるぎを持って舞います.
4.「抜き身の舞」で鈴を右手に,抜き身のつるぎを左手に持って舞います.
この四折の舞は,30分あまりも続く激しい舞で,この後湯立ての時何度も舞われます.
(15)神楽神の湯立
(16)津島神御湯立
(17)切替え
(18)湯祓
(19)東方浅間神の湯立
(20)諏訪神社の湯立
(21)たい切り面
−午前5時過ぎ.二人の松明を持った神子に導かれるように,大きな鉞を持ち,赤い鬼の面をつけたたいきり様が登場します.
舞堂に降りてくると,たいきり様をはさんで松明を持った二人の神子が立ち,たいきり様の動きに合わせて松明を振ります.五方に舞った後たいきり様は神子と向き合い,火のついた松明をまさかりで切ります.火の粉があたりに飛び散り,祭りは最高潮になります.
(22)獅子舞−次は,右手に鈴,左手に御幣を持った二人立ちの獅子が「めでためでたの若松様よ…」の伊勢音頭にのって登場します.この獅子頭.かなり大型で頭役はなかなか大変そうです.
獅子舞の時,「獅子の酒」が見物人にも振る舞われます.
最後に禰宜が,うずくまった獅子に笹の束を銜えさせる笹ばみを行い,獅子は退場します
(23)鬼神面−赤装束にわらじ履き.赤い鬼の面をつけ,鬼神棒を手にした鬼神が登場します.床板を踏みならし,鬼神棒を振りかざして激しく舞います.舞の途中で禰宜が「東西東西」といいながら鬼神面の頭を扇で叩きます.その後,禰宜と鬼神面の問答になります.問答に負けた鬼神面は,鬼神棒を禰宜に渡し,右手に鈴,左手に扇を持ち,白い上衣を着せられて舞います.
舞い終わると,上衣を脱ぎ鬼神棒を返して貰い舞っていると,天公鬼面が登場します.暫く二匹で舞ったあと,鬼神面は退場します.
(24)天公鬼面−鬼神面と同じような装束で,撞木棒を持った天公鬼面が登場します.天公鬼面も撞木棒を振り回しながら,床板を踏みならし大暴れします.途中で禰宜から「東西東西」と扇で頭を叩かれ問答をします.位比べとつえ引きに負けた天公鬼は,鬼神と同じように白い上衣を着せられ鈴と幣を持って舞います.
舞い終わると,上衣を脱ぎ撞木棒を返して貰い舞っていると,青公鬼面が登場し,暫く二匹で舞います.
(25)青公鬼面−赤装束にわらじ履き.青い鬼面の青公鬼面が六角の杖を持って登場します.青公鬼も前の鬼と同じように,杖を禰宜に取られ白い上衣を着せられ鈴と扇を持って舞います.舞いの後,上衣を脱ぎ六角杖を返して貰って退場します.
青公鬼と禰宜との問答も,元々はあったそうですが現在はおこなわれていません.
(26)水の王神−水の王神は松明に導かれ,とがった鼻の黒い面をつけて登場します.両手にユタブサを持ち,釜の前に立ちユタブサを釜の湯につけ,周りに湯を撒き散らして退場します
(27)火の王神−火の王神は両手を腰に,高い鼻,太くて黒い眉,あごひげを持つ朱塗りの面をつけ,松明に導かれて登場します.釜の周りを回って退場します
(28)翁の面−頬被りをして,白い翁面をつけ上衣に袴姿で,鈴と扇を持ち,腰には扇をつり下げた刀を差して登場します.禰宜とかなり長い問答をして退場します
(29)日月女郎面−「てらぼこ」とも云います.歯が欠けた滑稽な表情の面をつけ,ボロボロの衣装を着て鈴と扇を持って登場します.手を叩いたり,身体をくねらせたりして,女郎を待ちながら舞います.周りの人は「歯をみがいたか」とか「くさいぞ」とか「しらみがわいとるぞ」とか云って日月様をからかいます.そこへ,紋付,振り袖姿の女郎が鈴と扇を持って登場します.日月様は喜んで,肩に触ったりお尻に触ったりします.
日月様は天の岩戸を押し開いた天手力男命,女郎は天のしずめの命といわれています.
(30)海道下り−頬かむりをし,平服に袴姿,幣束と鈴を持った爺,着物を着て撞木棒を持ち腰に結んだ綱の先に上衣を結びつけた婆がよろよろと登場します.禰宜と問答をして最後に禰宜から大根を貰い,それを餅に,撞木棒と幣束を杵に見立てて,三人で餅つきをして退場します.
(31)魚釣り−鬼の赤い股引をはいた三人が登場します.一人は糸の先に木製の鯛が付いた釣り竿,二人は同じく木製の鯛が入った藁の帽子を持って登場します.見物人が舞堂から離れていくので,あれあれと思っていると,いきなり白い酒を口に含んで吹きかけてきます.釣り竿にぶら下げた鯛を観客の方に放ったり,手に持った鯛を上がりがまちに置いたり,観客に木製の鯛を見せびらかし,取りに来る観客に白い酒を吹きかけます.上着が真っ白になった観客もいました.3匹ほどは観客に投げ,残った木製の鯛を,舞堂でやちごを使って料理して退場します.
(32)八坂神の御湯立と舞四立
(33)神妻神の御湯立と舞四立
(34)面形送り
−面を箱に収めて,火の王神社へ返しに行きます.
(35)止湯−祭場にお迎えした神々を元の場所にお送りする神事です.釜の前につるしてあった竹筒に入った浜水を釜の中に注ぎ,ユタブサを湯の中に入れてかき回します.最後にユタブサを竈の火に入れて燃やしてしまいます.
(36)火伏せ−禰宜と氏子の代表二人が釜の前でうたぐらをうたい,釜の前にやちごを置きます.竈から赤くなっているオキを一つ乗せ,うたぐらをうたいながらやちごをまたいで,元の位置に戻り,すべての次第が終わります.

で,すべて終了したのが,翌5日の午前11時少し前でした.
帰りも,来たときと同じ道を帰ったのですが,昨日の晩から何も食べていないので,新野の道の駅「信州新野千石平」で夕食兼朝食兼昼食を取ることにしました.五平餅とラーメンを頼んだのですが,運ばれてきた五平餅を見てびっくり!普通の五平餅の2倍位ありそうです.ラーメンも食べて,かなり食べ過ぎ!!
途中足助で30分位仮眠を取り,16時近く無事に帰着できました.
この祭りは,もとは諏訪社で行われていた例祭で「霜月祭り」とか「冬の祭り」といわれていましたが,昭和27年無形文化財の指定を受けたときに,「冬祭」の名が採用されたということです.
 正長元年(1428)夢占いにより,『子孫繁昌当郷永く成就すべし』とのことで,神楽が奉納されたのが始まりと云われています.昭和53年には,天龍村に伝わる「坂部の冬祭」「向方のお潔め祭り」「大河内の池大神社の例祭」の3つが,一括して「天龍村の霜月神楽」として,国の重要無形民俗文化財に指定されました.
遠山郷,佐久間,奥三河などに伝わる湯立て神楽の一つですが,yoshikの感想としては,遠山郷の『霜月祭り』と三河の『花祭り』の両方の要素を持っていますが,より遠山郷の『霜月祭り』に近い!と思いました.
以前,佐久間の『花の舞』を見たとき,
遠山郷の霜月祭り→佐久間の花の舞→三河の花祭り
と伝わっていったのではないか?という感想を持ちましたが,今回の冬祭を見て
遠山郷の霜月祭り→坂部の冬祭→佐久間の花の舞→三河の花祭り
と思いました.もちろん何の根拠もないですが…

「坂部の冬祭り」が行われた諏訪神社はこちらMap(地図には諏訪神社の位置が表示されていません.およその位置です)
「山車とまつり」はこちら→坂部の冬祭り