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下本町の「應合子(おうごうし)」
車山:寛永十八年(1641)建造.二体の唐子が合体したり離れたりするからくりから命名された.また,この車山のみ「梵天」をつけていない.
からくり:大唐子が蓮台に乗っている中唐子を肩車して舞竹につかまらせると,中唐子は2回大車輪をして再び大唐子に肩車されて元に戻る.その間小唐子は小太鼓を叩くというもの.
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中本町の「西王母(せいおうぼ)」
車山:慶安二年(1649)建造.車山の名は「西王母」の人形名から命名された.
からくり:「龍門の滝」から「西王母」になり,さらに「西王母唐子遊び綾渡り」となった.
西王母が唐子に桃の実を採ってくるように唐子に命ずると,唐子は四段の綾棒を渡って飾り風車の巻物にぶら下がると額が出てくるというもの.
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熊野町の「住吉臺(すみよしだい)」
車山:慶安二年(1649)建造.車山の名は能楽の「住吉・白楽天」から物語をとったからくりに由来する.
からくり:住吉人形と白楽天が問答の末術比べとなり白楽天はお社頭に.住吉は神橋に変身するというもの.
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新町の「浦嶌(うらしま)」
車山:文化八年(1811)「黒船」といわれる車山を建造.その後,嘉永二年(1849)に他町と同じ形の車山に変えられたが明治五年(1873)名古屋から舟形の車山を譲り受けた.車山名はからくりから命名されている.
からくり:浦島太郎のお伽噺が元になっている.浦島が亀に乗って進んでいくと貝の中から乙姫が現れ浦島に玉手箱を渡す.浦島が玉手箱を開けると,煙が出て白髪の翁になってしまうというもの.乙姫が浦島に玉手箱を渡すとき,箱を止める金具などないため高度な人形を操る技術が要求される.
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新町の「浦嶌」以外の舟形の山車ここをクリックしてご覧ください
枝町の「遊魚神(ゆうぎょしん)」
車山:正徳五年(1715)踊山として建造.車山名は恵比寿が鯛を釣るというからくりから命名されている.
からくり:恵比寿が岩に腰をかけて鯛釣りをしている.お供の唐子が鯛の群を追ってくると恵比寿がそれを釣り上げる.唐子がそれを抱きかかえて喜んで跳ね回るというもの.
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寺内町の「老松(ろうしょう)」
車山:天保元年(1830)建造.能楽の謡曲「老松」を取り入れたことから命名された.中山に金の鯱ほこが付けられている.また,車山の随所に螺鈿細工が施されている.
からくり:左手に鈴を持ち,右手に扇を持った巫女が舞う.後方には神人が立っている.巫女が舞い終わると神人はお社に巫女は鳥居に変身してまた元に戻るというもの. 
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