第15回全国獅子舞フェスティバル掛川 その2
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4.獅子舞かんからまち−掛川市瓦町
詳しくはわかっていませんが、江戸時代中期には牛頭天王社(現在の龍尾神社)を中心に行われていたといわれています。また、地元では戦国時代に今川氏の重臣、朝比奈備中守が掛川城を築城した時、獅子舞を奉納したことから始まったと伝えられています。
獅子は龍尾神社から神輿(みこし)渡御行列の先導役としての役割を果たします。舞は「道行」「三角舞」「本舞」「戻り三角舞」の四部構成で、雌獅子を二頭の雄獅子が奪い合うさまを表現しているそうです。
名前の由来は、瓦職人の住む瓦町がこの獅子舞伝承にあたったことから、なまって呼称されたという説や獅子の腹につけた鞨鼓(かっこ)をかんかんたたいて舞ったから、などの説があります。
現在は保存会で、継承していますが、過疎化でなかなか難しいとのこと。県の無形民俗文化財に指定されています。

5.行山流都鳥鹿踊−岩手県奥羽市(カメラの設定ミスで撮影されていません)
6.南信州の大型屋台獅子−長野県飯田市(演技場所が、サブステージから離れていたため撮影していません)

7.二条の獅子舞−香川県三木町
二人立ちの獅子舞。特徴は、張り子の獅子頭、紐を引くと跳ね上がる毛耳、模様が鮮やかな油単の胴衣、大きな鉦や囃子などがあげられます。
三木町は、昔から獅子舞が盛んで、秋祭りには五穀豊穣と無病息災を願って、神社に奉納されます。二頭の獅子が天狗の面をかぶった「獅子あやし」にからかわれながら、勇壮に舞います。

8.焼津神社の獅子木遣り−焼津市
獅子木遣りは江戸時代、焼津の港から江戸・深川に送られた材木積み出しの際に歌われたといわれ、、江戸中期に祭礼の中に加えられ、明治四十年に焼津出身で、東京の篤志家が、雌雄一対の獅子頭を焼津神社に奉納したのが獅子木遣りの始めといわれています。
焼津神社の夏の例大祭に行われる御輿渡御の行列の先頭で、場を清めるための木遣りで、雌雄2頭の獅子頭の胴幕を手古舞姿の少女達が持ち、数種類の木遣り歌を歌いながら歩きます。
国選択・県指定無形民俗文化財です。

9.六斎念仏−京都市
六斎念仏は、平安時代中期、空也によって始められたとされる踊念仏から派生したものといわれています。
踊念仏は六斎日と結びついて、室町時代には六斎念仏と呼ばれるようになっていましたが、現在では、お盆、精霊送り、六地蔵めぐり、地蔵盆などの行事に併せて行われることが多い。
江戸時代頃から、念仏踊りを主体とする念仏六斎と、能や浄瑠璃の演技などを取り入れて、より娯楽性が進んだ芸能六斎の系列に分かれました。
★念仏六斎は、鉦を叩いて念仏を詠唱する、踊念仏の流れを組むもので、念仏主体の六斎念仏です。鉦が主体で、「鉦講」ともいわれます。笛は使用されませんが太鼓が入ることはあります。
円覚寺六斎(円覚寺 盂蘭盆奉納)、空也踊躍念仏(六波羅蜜寺 かくれ念仏)、上鳥羽橋上六斎念仏鉦講(浄禅寺、六地蔵めぐり)、西方寺六斎念仏(西方寺 送り火法要)などがこれにあたります。
★芸能六斎系は、娯楽性が取り入れらた事により、太鼓、鉦、笛を使って、土蜘蛛、獅子舞、式三番叟、祗園囃子など、謡曲、浄瑠璃、常磐津、長唄などから取り入れられたものも演じられます。
壬生六斎念仏(壬生寺 精霊迎え)、桂六斎念仏(地蔵寺 六地蔵めぐり)、嵯峨野六斎念仏(阿弥陀寺 地蔵盆)、嵯峨野六斎念仏(松尾大社 八朔祭)、千本六斎念仏(引接寺 千本ゑんま堂 精霊送り)、梅津六斎念仏(梅宮大社 嵯峨天皇祭)、小山郷六斎念仏(上善寺 六地蔵めぐり)、吉祥院六斎念仏(吉祥院天満宮 夏期大祭)、久世六斎念仏(蔵王堂光福寺 八朔祭法楽会)、中堂寺六斎念仏(壬生寺 精霊送り)などがこれにあたります。
「京都の六斎念仏」として、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
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獅子舞かんからまち
No37 No38 No39 No40 No41 No42
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二条の獅子舞
No43 No44 No45 No46 No47 No48
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No49 No50 No51 No52 No53 No54
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焼津神社の獅子木遣り
No55 No56 No57 No58 No59 No60
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六斎念仏
No61 No62 No63 No64 No65 No66
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