青森県 弘前ねぷた祭り
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2004年8月青森の『青森ねぶた祭り』,『弘前ねぷた祭り』,『五所川原立佞武多の館』と3日目『秋田竿燈まつり』を見てきました.
ねぶた祭りの起源ははっきりはしませんが,七日目にはねぶたを川に流すという習慣があることから七夕の灯籠流しの行事が始まりであろうと考えられています.
 始めの頃は四角い灯籠のようなものを町内を担いで歩いたようです.江戸後期に人形の「組ねぶた」が作られるようになり,明治中頃から「扇ねぶた」が作られるようになり,骨組みを毎年使えるため手間とお金があまりかからないことから扇形のねぷたが多く作られるようになったそうです.また,扇の形になったのは津軽藩の藩祖・津軽為信公の幼名が「扇」であったことと,扇は末広がりでめでたいからといわれています.
 扇ねぷたの表絵は「錦絵」といわれ三国志や水滸伝といった武者絵が.また,裏絵は「送り絵」といわれ美人画が描かれています.
 青森は「ねぶた(Nebuta)」といい弘前は「ねぷた(Neputa)」といわれるのは方言の訛りからで,起源は同じです.
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No01:『津軽藩ねぷた村』に展示してあったねぷたの中を覗いてみました
No02:弘前公園の周辺道路で出番を待つねぷたの中を覗いてみると…
No03〜05:弘前公園の周辺道路で出番を待つねぷた
No04:「雲漢」というのは「天の川」の事だそうです.この祭が「七夕祭り」から発展したということからこう書かれているそうです
No06:金魚ねぶたです
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No07〜19:様々なねぷた絵が描かれたねぷたが登場します
No07〜15:は「扇ねぷた」
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No16〜19:「組ねぷた」も「弘前ねぷた祭」には登場します
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お囃子は「ヤーヤドー」というかけ声と太鼓,笛,手振り鉦です.No20〜24:はいろいろな太鼓です
No21:子どもが太鼓に跨って手振り鉦をならしています
No22:大きな太鼓では息を合わせて上と下の両方から叩きます
No23:子どもたちがひな壇状に並んで叩いていた団体もありました
No19 (110kb) No20 (102kb) No21 (51kb) No22 (111kb) No23 (82kb) No24 (97kb)
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東北の祭りは右のサムネイル画像をクリックしてご覧ください
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