名古屋市西区に隣接する旧美濃路の街道沿いに発達した西枇杷島町で5輛(注)の「名古屋型」の山車が揃う『尾張西枇杷島まつり』が行われました.6月5日(土)の様子をご覧下さい.
西枇杷島の祭りはもともとは『天王祭』として行われていましたが,享和2年(1802)に初めて橋詰町,問屋町,西六軒町の3つの町から山車を出し,文化2年(1805)に東六軒町の山車が加わりました.
ところが,その当時は「神事祭礼等,古例之通軽くとりおこない,神事にことよせ,芝居體之偽惣而少しにても新規の品並びに華美物数寄酒宴遊興等堅く致間敷事」との御触書によって山車を曳くこと許されませんでした.
山車を曳くことが許されたのは6年後の文化5年(1808) |
からくり人形を飾ることが許されたのが文化9年(1812).さらに,そのからくり人形を動かせるようになったのがその翌年だったようです.
しかし,十代藩主斎朝(なりとも)公は大の祭り好きと言うこともあってその後祭りは盛大に行われるようになり,文政6年(1823)とその翌年には祭礼を上覧したと言う記録が残っています.
明治4年(1871)には杁西町の山車が加わり5輛の山車が揃うことになりました.
その後,昭和46年に枇杷島町指定の祭礼となり,名称も『西枇杷島祭』と改められ6月の第1土・日に行われるようになりました.
昭和60年には5台の山車が町指定の有形民俗文化財に指定され,昭和63年からは名称を『尾張西枇杷島まつり』と改め盛大に執り行われています.
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